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篠山市外エリア/和歌山県の写真
有田郡 ▼ 紀の川市 ▼
 有田郡有田川町東大谷/二川ふたがわダム ここをMapion地図で見る(別画面)
●有田川に造られた重力式コンクリートダム。日物川橋からの眺め。堤高67m、堤頂長223m、1966年竣工。
有田郡有田川町東大谷/二川ダム写真


●大小計4門のゲートを備えている。
有田郡有田川町東大谷/二川ダム写真


●下流側の眺め。右岸で河川維持放流水を利用した有田川町営小水力発電所(新エネ大賞)が稼働している。
有田郡有田川町東大谷/二川ダム写真


●幅4mの天端。ダムが大きいので幅が狭く感じる。
有田郡有田川町東大谷/二川ダム写真


●中央は1998年にダム堤体に穴を開けて設置された河川維持放水用の取水設備。下流の枯れ川状態を改善するもの。
有田郡有田川町東大谷/二川ダム写真


●中央は岩倉発電所(11,000KW)へ送水する取水塔。ダム湖沿いに1,000本桜があり春には桜まつりが催される。
有田郡有田川町東大谷/二川ダム写真




 有田郡有田川町三田/あらぎ島 ここをMapion地図で見る(別画面)
●54枚の棚田が有田川に囲まれ奇観をなしている。具合の良い駐車場と展望台がありじっくり眺められる。
有田郡有田川町三田/あらぎ島写真


●展望台にある和歌山県朝日夕陽百選のモニュメント。後方の説明板には高野参詣道と龍神街道の分岐点が云々。
有田郡有田川町三田/あらぎ島写真




▲ 有田郡 ▲ 紀の川市 ▼ 新宮市 ▼
 紀の川市粉河/風猛山粉河寺(粉河観音宗総本山) ここをMapion地図で見る(別画面)
●門前から大門(重要文化財)の眺め。奈良時代(宝亀元年・770年)に開創された西国三十三観音霊場第3番。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●春日仏師が桂材で造ったとされる金剛力士像が安置されている。門前から本堂まで石畳がぴっちり敷き詰めてある。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●大門から中門の間に沢山の堂宇がある。大門すぐの所にある不動堂。弘法大師爪彫の不動尊が祀られている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●粉河寺本坊。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●童男大士(童男行者)が祀られている童男堂。12月18日には終り観音の童男会が営まれる。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●石碑の前に釈迦の足跡が刻まれた仏足石が置かれている。後方の塀の中に童男大士が降臨したという出現池がある。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●念仏堂(光明殿)。右の像は文久2年(1862年)に造られた鋳銅製の阿弥陀如来座像(露座仏)。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●聖徳太子が祀られている太子堂。白壁に江戸期のものらしき千社札が剥がれずに残っている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●重要文化財の中門。手水舎の盥漱盤(かんそうばん・水盤)は安政4年(1775年)に鋳銅された品で蓮葉の形をしている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●中門の屋根は向拝が付いたような特徴的な形をしている。四天王像が四方向に安置されている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●本堂。御本尊像は地下に安置されているらしい。桃山時代に築庭された枯れ山水の石庭が本堂を引き立てている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●現本堂は享保5年(1720年)に再建された。二重屋根の正堂に一重屋根の礼堂を結合させた重層八棟造りになっている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●丈六堂。身長一丈六尺(4.9m)の阿弥陀如来が結跏趺坐(2.6m高)の姿で安置されている。右側に水向地蔵堂。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●六角堂。西国三十三観音が祀られている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●角柱8本の堂々とした鐘楼。但し、割れ鐘のため静かに撞くようにとのこと。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●薬師堂。西国三十三所草創1300年の特別拝観にて(本堂ではなく)薬師堂の本尊が一般公開された。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●宝暦10年(1760年)建立の千手堂(重要文化財)。歴代紀州藩主の位牌が祀られている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●離れて奥まった場所にある行者堂。神変大菩薩と記された扁額が架かり役行者が祀られている。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●境内社の粉河産土神社。粉河寺創始の際に各村の氏神を勧請して祀ったのが始まり。別名「たのもしのみや」。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真


●粉河産土神社と沢山の摂社・末社が横一列に並んでいる。紀州三大祭の一つである粉河祭が7月末に催される。
紀の川市粉河/風猛山粉河寺写真




▲ 紀の川市 ▲ 新宮市 ▼ 田辺市 ▼
 新宮市新宮/新宮城跡(丹鶴城・沖見城) ここをMapion地図で見る(別画面)
●新宮城がある丹鶴山の眺め。新宮領主・浅野忠吉(紀州藩主浅野家の重臣)が築城し、後の水野氏が完成させた。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●鐘ノ丸に立って本丸と天守台の眺め。一帯は丹鶴城公園になっていて建物や右の階段は遺構ではない。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●本丸虎口。切込み接ぎと呼ばれる技法でピッタリと積まれている。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●本丸に立って鐘ノ丸(手前)と松ノ丸(奥)の眺め。一時期は鐘ノ丸で民間旅館が開業していた。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●本丸から熊野川(新宮川)が一望できる。手前は出丸、川に架かるのは熊野大橋。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●川沿いに造られた「水の手」。往時は船着き場や炭納屋があり新宮炭(備長炭)の集配基地になっていた。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●本丸から石垣北面の眺め。廃城後に石を積んだり移動したりして改変されているのが残念。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●本丸にある丹鶴姫之碑。丹鶴姫(鳥居禅尼)は平安時代に実在した権力者で丹鶴山に東仙寺を築いていた。
新宮市新宮/新宮城跡写真


●JR紀勢本線のトンネルが丹鶴山を貫通している。城ファンとしては山が削平されなくて幸い。
新宮市新宮/新宮城跡写真




 新宮市新宮/熊野速玉大社 ここをMapion地図で見る(別画面)
●社頭の眺め。下馬橋の左に日本第一大霊験所・熊野大権現、右に熊野速玉大社と刻まれた石塔が立っている。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真


●熊野権現と記された扁額が架かる両部鳥居。正面奥に樹齢千年の御神木・梛(なぎ)がある。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真


●鳥居を潜って直ぐ右手にある手力男神社と八咫烏(やたがらす)神社。御神徳は武道、健康、開運、交通安全、招福。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真


●柱が三本組になった珍しい構造の手水舎。奥に熊野稲荷社がある。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真


●神門。全国熊野神社総本宮の扁額が架かっている。熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山を構成する大社。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真


●神門内に5棟・12神殿がずらりと並んでいる。神倉山(古宮)から現在地に遷宮されたことから新宮とも呼ばれる。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真


●拝殿。熊野速玉大神と熊野夫須美大神の夫婦神が祀られている。新宮大社ではなく速玉大社なのはここからきている。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真


●本殿前広場の東端にある新宮神社(左)と熊野恵比寿神社(右)。神殿の向かい側に世界遺産碑が立っている。
新宮市新宮/熊野速玉大社写真




▲ 新宮市 ▲ 田辺市 ▼ 東牟婁郡 ▼
 田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社 ここをMapion地図で見る(別画面)
●社頭の眺め。創建は紀元前まで遡り、平成30年に創建2,050年奉祝式年大祭が予定されている。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●熊野大権現の扁額が架かる白木の鳥居。右側に日本第一霊験所熊野本宮大社と刻まれた石塔が立っている。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●厳粛な空気に包まれた参道。平成23年紀伊半島大水害で倒壊した宿坊が左に見える瑞鳳殿として再建されている。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●手水舎。本宮大社はこのような白木社殿となっている。対して速玉大社、那智大社は朱塗りされている。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●参道石段を上がった神門前広場にある授与所。神殿をどの順番でお参りするか、案内板で説明してある。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●神門。注連縄の上に干支の絵馬と藁で作った八咫烏が架かっている。本宮は熊野三山の首位との説明。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●元は熊野川の中洲・大斎原にあったが明治22年に大水害があり上四社3棟が現在地へ移築・遷座された。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●平成4年建立の黎明殿。幟に描かれた三本足の八咫烏は日本サッカー協会もシンボルマークに取り入れている。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●大斎原に立つ日本一の大鳥居。平成12年建立、高さ33.9m、幅42m、鉄筋コンクリート造、黒塗り。 地図(別画面)
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●飛鳥時代、熊野/音無/岩田川合流点の中洲に社殿が建てられた。明治に水害があって現在は小祠だけ祀られている。
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真


●熊野川堤防沿いにある熊野本宮大社末社・産田社。女神・イザナミが産土神として祀られている。 地図(別画面)
田辺市本宮町本宮/熊野本宮大社写真




▲ 田辺市 ▲ 東牟婁郡 ▼ 和歌山市 ▼
 東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社 ここをMapion地図で見る(別画面)
●社頭の眺め。那智山熊野権現の扁額が架かる第一鳥居。右下に世界遺産碑がある。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●第二鳥居。熊野三山の一社でありイザナミノミコトを主祭神に十二柱の神々が祀られている。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●見晴らしの良い場所にある手水舎。大きな水盤に龍の水口が二つ付いている。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●鈴緒が5本ある拝殿。拝殿の奥にある広場を挟んで5棟の本殿が並んでいるが参拝者は近寄れない。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●拝殿左側の八社殿と八咫烏を祀っている御県彦社。リアルな姿の八咫烏銅像がある。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●拝殿横に授与所があり熊野牛王符が頂ける。右奥から青岸渡寺へ行ける。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●宝物殿。平成29年は創建1700年になるとのことで記念行事や奉納行事が催されている。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●胎内くぐりの樟霊社。樹齢約850年のクスノキの幹が空洞になっていて通り抜けできる。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真


●青岸渡寺側から見た那智大社へ通じる鳥居。元々、寺と大社は一体のものだったが明治の神仏分離令で別れた。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/熊野那智大社写真




 東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺(天台宗) ここをMapion地図で見る(別画面)
●熊野古道(熊野参詣道)の大門坂入口。往時は大門坂の途中にある十一文関で通行税を徴収していた。 地図(別画面)
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●関所跡の鳥居。朱色の振ヶ瀬橋から先が那智の聖域とされた。右に下馬の石塔が立っている。 地図(別画面)
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●大門坂の途中にある熊野九十九王子(熊野参詣者守護のための神社群)最後の多富気王子社碑。 地図(別画面)
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●大門坂沿いの木々はどれも大きく、樹齢800年の夫婦杉もある。650m続く石畳と石段を上ると大門跡に出る。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●仁王門。大門坂にあったがここへ移築された。根本札所・西国第一番・なちさん霊場と刻まれた石塔が立っている。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●仁王像。山門の柱が風雨で傷んでいるが像は透明板で仕切って保護されている。背中合わせで狛犬が安置されている。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●那智大滝を水源にした手水場。青岸渡寺は4世紀頃にインドから渡来した裸形上人が開山した。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●本堂(如意輪堂)。本尊は如意輪観世音菩薩。戦国時代に焼失したが豊臣秀吉により天正18年(1590年)再建された。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●元享4年鋳造銘の鐘楼。平安時代(永延2年・988年)、花山法皇が御幸され西国三十三所霊場第一番札所と定められた。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●本堂と鐘楼の間にある六角形の水子堂。手前の宝篋印塔は鎌倉時代のもので重要文化財に指定されている。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●本堂の裏手にある大黒天堂(如法堂)。葉上大黒天を本尊とし那智七福神が祀られている。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真


●展望台を兼ねた三重塔。昭和47年、鉄筋コンクリート造で再建された。後方は日本三大名滝の那智大滝。落差133m。
東牟婁郡那智勝浦町那智山/那智山青岸渡寺写真




 東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮/熊野山補陀洛山寺ふだらくさんじ(天台宗) ここをMapion地図で見る(別画面)
●昭和65年再建された本堂。本尊は千手観音(重要文化財)。平安から江戸にかけて補陀洛渡海の出発点になった。
東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮/熊野山補陀洛山寺写真


●復元された補陀洛渡海船。漂泊しながら南海の彼方にある観音浄土補陀洛を目指すという捨身行に使われた。
東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮/熊野山補陀洛山寺写真


●本堂前にある侘・寂を感じる瀟洒な手水舎。浄水は「ふだらく水」と呼ぶらしい。
東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮/熊野山補陀洛山寺写真


●寺の隣にある熊野三所大神社。元は熊野九十九王子の「浜の宮(渚の宮)王子」だった。
東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮/熊野山補陀洛山寺写真


●往時の神社前は「渚の森」と呼ばれる名勝の森だったが今は小さな公園になっている。
東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮/熊野山補陀洛山寺写真




 東牟婁郡串本町鬮野川くじのかわ/橋杭岩 ここをMapion地図で見る(別画面)
●道の駅「くしもと橋杭岩」の駐車場からの眺め。海岸から100m程の所を奇岩が直線状に40個程並んでいる。
東牟婁郡串本町鬮野川/橋杭岩写真


●太古は連続した岩だったが浸食の過程で硬質部分が残ったものらしい。干潮なら右の弁天島まで歩いて行ける。
東牟婁郡串本町鬮野川/橋杭岩写真




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 和歌山市紀三井寺/紀三井山金剛宝寺護国院(紀三井寺)(救世観音宗総本山) ここを地図で見る(別画面)
●室町時代に建てられた重要文化財の護国院楼門。山号柱の後方に清浄水が流れる「ざんげと招福の水場」がある。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●金剛力士像。何とも時代を感じる傷み具合いで他より首のひねりが大きい印象。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●楼門から上の境内まで210段続く結縁厄除坂。小振りな青石を積み上げた石垣は穏やかな雰囲気がある。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●十一面観音が祀られた七鈴観音堂(普門院)。石段道の左右にこのような塔頭(寺内寺院)がいくつかある。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●七鈴観音堂の向かいにある地蔵堂(穀屋寺)。聖徳太子を祀っている。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●石段道中程にある波切不動堂(瀧本院)。不動明王が嵐の大波を切り裂いて弘法大師が乗っている船を守ったとの伝。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●寺名の由来となった三井水(清浄水、楊柳水、吉祥水)の一つ清浄水。罪障を流して下さるとのこと。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●清浄水の直ぐ上、身代り大師堂(松樹院)。身に起こった災厄を弘法大師が代わりに受けて下さる。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●身代り大師堂の向かいにある一願不動(宝蔵院)。早い時間なので閉まっているが大日如来と聖天が祀られている。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●石段道を上がると境内になる。左側(写真)に本堂、右側に鉄筋コンクリート造3階建の新仏殿がある。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●本堂前参道にある六角堂。西国三十三所の観音が祀られている。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●六角堂の隣にある幸福観音像と鐘楼(重要文化財)。鐘楼は安土桃山時代の建築様式らしいが音がこもりそうだ。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●大師堂。扁額の位置に弘法大師と縦書きされた板が架かっている。左の石段からも多宝塔へ行ける。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●手水舎。境内にはソメイヨシノやヤマザクラが約500本あり早咲き桜の名所として知られる。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●本堂(観音堂)。奈良時代(宝亀元年・770年)、為光上人により開創された。西国三十三観音霊場第2番札所でもある。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●救世殿の扁額が架かる本堂外陣。本尊は十一面観世音菩薩。現本堂は宝暦9年(1759年)に再建されたもの。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●室町時代に建立の多宝塔(重要文化財)。右側に小社・春子稲荷と鎮守三社(三社権現)がある。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●多宝塔の並びにある開山堂。開山・為光上人が祀られている。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


●楼門から200m北側にある裏門。往時を偲ばせるような裏参道を通って本堂に行ける。
和歌山市紀三井寺/紀三井山護国院写真


▲ 和歌山市 ▲ page end

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